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張羨 (後漢)
張 羨(ちょう せん、生年不詳 - 建安5年(200年)以降)は、中国後漢末期の武将・政治家。荊州南陽郡 (現:河南省南陽市)の人。長沙太守。後漢末に劉表に反旗を翻し、曹操に味方した。子に張懌。男性。 ==経歴== 零陵郡、桂陽郡の長(太守?)を歴任し、人心を得ていた。屈強で人に従わない性格だったので、上司となった劉表には嫌われていた。のち長沙太守となった。 建安3年(198年)、張羨は長沙・零陵・桂陽の三郡ごと劉表に反旗を翻した。劉表は兵を向けたが、張羨を破ることはできなかった。建安5年(200年)、華北で曹操と袁紹が対峙すると(官渡の戦い)、劉表は袁紹に味方した。元郡の功曹(人事査定官)であった桓階は、袁氏(袁紹)は反逆者であるとして、献帝を擁する曹操に味方するよう説いた。張羨はさっそく曹操に使者を送り、曹操は大いに喜んだ。 その後再び劉表に攻撃された。曹操は袁紹と連戦しており、張羨に救援の兵を送ることができなかった。まもなく張羨は病死し、長沙の人々は子の張懌を後継に立ててなおも抵抗したが、ついに劉表に攻め落とされた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張羨 (後漢)」の詳細全文を読む
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